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New Age Creator
Len Yamada

山田 蓮

Wears : DW-5600C-1

タフを表現する
新世代のクリエイション

タトゥーアーティスト、山田蓮。
タトゥーの絵柄に強烈に惹かれ、
自分もやってみたいという気持ちから単身カナダへ。
独学でタトゥーの技術を習得し、2018年、
渋谷に「TATTOO STUDIO YAMADA」をスタート。
2021年に現在の原宿へ移転し、
今年、2店舗目「Born Losers」をオープンさせた。
同時にYouTubeチャンネルも5年前から継続的に運営。
オリジナルのアパレルアイテムを展開し、
ブランドともコラボレーションする。
好きなことを実行し、伝えたいことを発信する。
何かに夢中になったら動かずにはいられない。
そんな山田蓮の活動の傍らには、
昔からG-SHOCKの存在があった。

最短距離で彫り師になるため
無我夢中で走ってきた

Yamatani Photo-02
Yamatani Photo-02

山田蓮のスタイルはアメリカントラディショナルタトゥー(以下、アメトラ)だ。ファッションを学ぶために文化学園大学へ通っていた頃、絵を描くのが好きで、洋服に絵を描く日々を送っていたが、ある日、セーラー・ジェリー(Sailor Jerry、オールドスクールアメリカンタトゥーの父)の本に出会い、「これ、カッコいい」となった。あっという間にタトゥーの世界にのめり込み、彫り師になることを決意して退学。最初は安価なタトゥーマシンを買って、昼に働きながら夜は下北沢の定食屋でタトゥーを彫るという活動を始める。なぜ定食屋なのか? それは大将が山田蓮のことを応援してくれていたから、という背景がある。その後、「とりあえずアメリカに近いから」という理由でワーキングホリデーを利用しカナダへ渡り、片っ端からタトゥースタジオの扉を叩いた末に、雇ってくれるスタジオを自ら見つけて、1年間タトゥーを彫り続けた。その、すべてが独学だ。

「ファーストタトゥーを彫りに行ったスタジオの彫り師さんが、今なら独学でもいけるよって話をしてくれて、そうなんだ、って。だから、とにかく絵を描いてマシンに触れて、無我夢中で数多くのタトゥーを彫り続けるってことをやっていましたね。体を貸してくれる友人が周りにいたのも幸いでした。彫り師になる最短距離を走ろうと思って。というのも、親に認めてもらうことが大事でもあったので。何せ、勝手に大学も辞めて始めちゃったわけですし、今ほどタトゥーに寛容ではない時代でした。当時は親に勘当されたような感じでもあったので、僕としては、とにかく早くこれで食えるようになるってことを考えていたんです」。

Yamatani Photo-02

帰国して1年後にはタトゥースタジオを構え、今では弟子やスタッフも雇うようになった。そんな「TATTOO STUDIO YAMADA」は、世間一般的なスタジオとは一風変わった運営をしている。弟子に教えるのはポリシーとマナーで、他の所属アーティストに関しても同様だが、自らのスタイルを重視させ、各々に違うジャンルのタトゥーをやっている。客として頼めば、どんな絵柄も彫ってくれるタトゥースタジオではない、同時にアメトラ専門のスタジオでもない、ということだ。

「今後タトゥースタジオとして生き残っていくためには、どういう方針でやっていったらいいかを考えたときに、やっぱり自分が一番好きなスタイルを突き詰めてやるというポリシーが大切になってくると考えたんです。僕の場合はアメトラが好き、だからバイクも好き。そんな好きなものが共通している彫り師にタトゥーを入れてほしいというお客さんがやってくる。そうやってタトゥーを起点につながりが生まれ、お客さんとも深い関係を作ることができることがすごく大事なんじゃないかなと。そうなれば、入れたタトゥーを見るたびに、彫っていたときにどんな環境でどんな会話をしたのかがフラッシュバックしてくると思うので。だから、うちにいるアーティストには、やりたいようにやらせています。今の自分には何が必要なのかを考えて動いてください、って考え方でやっていて、理に適っていると思いますね」。

1号店には多くのアーティストが所属し間口も広い。ファーストタトゥーを入れにくるお客さんも多く、開かれたスポットだ。対して、スタートしたばかりの2号店「Born Losers」は、タトゥーカルチャーの奥深さや歴史が感じられるスタジオに育てていくという。タトゥーのコアな魅力を知った人は2号店へ、というルートを用意しているのも山田蓮ならではの提示だ。

Yamatani Photo-03

中途半端にせずに
やると決めたら全力でやる

Yamatani Photo-03

山田蓮がタトゥーを彫ってもらっているときの1枚。このときも腕には愛用している「DW-5600C」がある。

自分のやりたいことに挑戦し続け、それを実現し続ける山田蓮が愛用しているG-SHOCKはIconic Styles の「DW-5600C」だ。その出会いは、山田蓮が彫り師になろうと決意した時期まで遡る。昼は塗装業の職人をしていた時期があり、先輩から、この仕事を続けるにあたって、「時間を意識することはすごく大事なことだから」という教えとともに、中古のG-SHOCKを買ってもらった。それが「DW-5600C」だった。

「買ってもらったときにやけに嬉しくて。これが塗装屋の証か、なんて思ったんですよ。ちょっとはプロの職人に近づけたのかな、なんて思って。着ける位置はちょっと上の腕の方なんです。ペンキを塗るときは手袋をするから、それで隠れないように。帰りにはペンキだらけになった先輩のG-SHOCKを時間が見えるところだけを綺麗にして、次に自分のを綺麗にして。そんな思い出があります。だから、今、もしコラボできるならペンキを散らしたデザインにするでしょうね(笑)」。

今後の挑戦について、山田蓮は数年間、LA行きを計画しているそうだ。日本まで名前が届くほどのタトゥーアーティストの存在を、彼らの母国で体感するために、今このタイミングで行くことを視野に入れている。
「憧れたアメトラが生まれたLAには何が待っているんだろうって。彼らはどういう感覚で生きていて、どんな絵を描いているのか。今じゃなきゃ行けないし、行かないことにはわからないことも多いですから」。

山田蓮にとって、タフに行動し続けられる理由は何なのだろう。
「今後、目指すべき彫り師のあり方が明確にあるわけじゃないんですけど、こうじゃなきゃダメだっていうのはあるんです。僕はタトゥー以外にもアパレルを展開したり、YouTubeもやっているし、好きなことで遊ぶってことも本気で徹底的にやるんですね。そうじゃなきゃいけないと考えています。これは親父に『やるときはやる。やらないときはやらない。どっちかにしなさい』って小さい頃から言われてきて一番心に残っている教えです。だから、中途半端に何かをすることはしないように。遊ぶときは遊ぶ、 仕事するときは仕事する。そこを、自分の中ではっきり決めてやっています」。
この考え方があるがゆえに、山田蓮はタトゥーに夢中になり、スタジオを2つ構えたうえでLAへ飛び出そうとしているのだ。

Yamatani Photo-02

山田蓮の作品例より。アメリカントラディショナルタトゥーからの影響が反映されていることがわかる。

Photography. IBUKI
Interview & Text. Ryo Tajima
Edit. Yutaro Okamoto _THOUSAND

Profile.

山田 蓮/Len Yamada

1995年生まれ、福島県出身。タトゥーアーティストとして活動。原宿にタトゥースタジオ1号店「TATTOOSTUDIO YAMADA」、2号店「Born Losers」を構える。ほかにも、オリジナルアパレルの製作、YouTubeチャンネル『OMOSSY CHANNEL』も運営。

Instagram. @len.5

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