井浦新と巡る、
“G-SHOCKと原宿” の “90年代と今”

G-SHOCKが日本で大ブームとなったのが90年代。その当時、様々なファッション雑誌で活躍し、人気アパレルブランドも手掛けていた井浦氏。俳優として映画やドラマであまたを感動させる現在は、当時と現代のG-SHOCKをどう見ているのか! まさかのアメコミの話から始まり、最後は優しさや絆を感じるグッドストーリーが聞けた。
▼井浦新 profile
1994年からARATAの名義で様々なファッション雑誌で活躍。それと並行し、多くのストリートヘッズから注目を集めたアパレルブランドのREVOLVERを原宿から全国へ展開していた。現在は俳優として活動する他、旅や自然をテーマにしたアクティビティー・ウエアを発信するELNEST CREATIVE ACTIVITYのディレクターを務める。今回はその旗艦店でもある、渋谷区富ヶ谷のELNEST TOKYO // MIGHTRYで撮影。
井浦新 (@el_arata_nest) https://www.instagram.com/el_arata_nest/
ELNEST(@mightry_elnest) https://www.instagram.com/mightry_elnest/

Contents
Topic 1
19歳イギリスでの出会い
ーー今となっては俳優やファッションブランドのディレクターとして注目を集める存在ですが、90年代にはモデル活動をされていましたよね。G-SHOCKユーザーの中には“人気モデル” や “ファッションリーダーのひとり” といったイメージが強い方も多いと思います。
井浦新(以下:井浦):その当時のことを覚えてくださっているのは大変嬉しいです。
ーーG-SHOCKがアメリカからの逆輸入という形で日本でも認知されるようになったのは、90年代後半に渋谷で大ヒットしたからだと言われています。井浦さんはちょうど同じくらいの時に原宿で“REVOLVER”をスタートされていましたよね。
井浦:REVOLVERは1998年からですね。
※井浦氏は2008年まで在籍
ーー何か親和性を感じます。きっと、G-SHOCKとの思い出も多いと思いますが、初めてこのブランドと出会ったのはいつ頃ですか?
井浦:19歳の時に旅行で行ったイギリスです。
ーー井浦さんが19歳の頃なので1994年ですね。当時のG-SHOCKはアメリカのイメージが強いですが、イギリスとはなんとも意外です。
井浦:ロンドンで真っ赤なスパイダーマンのモデルを見かけて購入しました。それが僕の初めてのG-SHOCKです。液晶画面にパッとクモのデザインが浮かび上がるデザインでした。

ーーなぜ、イギリス旅行でG-SHOCKだったんですか?
井浦:バイトで貯めたお金で行った大切な旅だったので、なにか記憶に残る物を購入しようと思って。なぜG-SHOCKかというと、真っ赤な色味で存在感があったし、映画好きということもあったので、当時の自分には何か惹かれるものがあったんでしょうね。
ーーその頃はすでにモデルのお仕事もされていたんですか?
井浦:ちょうど19歳の頃に始めました。この当時、ファッション雑誌に私服で出ている時は、その赤いG-SHOCKをよくつけていましたよ。今も大事に保管してます。
ーー以前、この年代にライターをやっていた方から、“Chrome Heartsやヴィンテージデニムと並び、G-SHOCKもとてつもない人気だった。表紙に登場すると部数が増えることもあったくらい! ”という逸話を聞きました。実際に紙面で活躍されていた井浦さんから見て、当時のG-SHOCKのイメージを教えていただけますか。
井浦:それは何年頃の話ですか?
ーー96年頃の話だと思います。
井浦:僕が21か22歳の頃ですね。確かにすごいブームでした。本当にどこにでも売っていたし、次から次と新しいモデルが登場していましたよね。たまにフラッと立ち寄ったお店で気になるものを手に取ってみると、何かの限定モデルで物凄い付加価値がついていて“ちょっと僕には高すぎるな”と、そっと元の場所に戻した記憶があります(笑)。

ーーこの頃はどういったモデルを愛用されていたんですか?
井浦:大きなムーブメントであまりにも街に溢れ出したので、僕は少しお休みさせていただいていました。好きな気持ちが薄れたわけではないですが、“今じゃないな”と。
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Topic 2
カルチャーを超越した存在
ーー渋谷でヒットしたG-SHOCKは、それ以降、音楽やアート、ファッションなどのストリートカルチャーとコラボレートすることで、より世界に認知されるようになりました。
井浦:確かにカルチャーとの親和性が高いイメージですよね。
ーー井浦さんは90年代に原宿にいらっしゃったので、ファッションだけでなく、音楽やアートといった部分でも何かとリンクされていたと思います。ストリートカルチャーとG-SHOCKの関係性で井浦さんだからこそ知るエピソードってありますか?
井浦:うーん……、そういったエピソードを思い出すのは難しいですね。でも、僕たちの世代で最も象徴的なモデルといえば、通称:スピードモデルと呼ばれていたこちら。

ーー1987年に登場したDW-5600ですね。井浦さんがお持ちになられているのは、当時から変わらないディテールを継承しつつ、LEDバックライトなどの機能を搭載したベーシックモデルですよね!
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井浦:今でもこのモデルを見ると90年代の香りを感じて懐かしくなる。でも、だからと言って全く古臭さを感じない。今の着こなしにも取り入れたくなる魅力があります。そういった普遍性がG-SHOCKのいいところですよね。
ーーなるほど。
井浦:それに、そういったストリートの要素が根底にありつつも、今やその領域を遥かに超えた存在になっていますよね。
ーーおっしゃる通り、ストリートカルチャーだけでなく、幅広いユーザーの方のライフスタイルに寄り添えるアイテムが豊富に揃っています。
井浦:現に僕自身も、若い頃はファッションアイテムのひとつとして取り入れていましたが、今現在は、素晴らしい機能が宿ったギアのひとつとして愛用させてもらっています。
ーーどういった着こなしに取り入れていますか?
井浦:G-SHOCKに関して言えば、日常使いはもちろんですが、趣味でもある旅やアウトドアでも使うことが多いです。これは電池がなくなってしまいましたが、長年お世話になりました。

ーーアパレルブランド、エルネストの活動からも分かる通り、井浦さんはアウトドアが趣味でもありますもんね。
井浦:もう少し本格的な登山やアウトドアになってくると、プロトレックのクライマーラインを選びます。気圧計測、方位計測、高度計測機能など、山や川といった本格的なアウトドアフィールドで役立つ機能が満載で、文字盤の圧倒的な見やすさも秀逸。以前からプロトレックのファンだったのでコラボレートもさせていただきました。その時のプロダクトがこちらです。

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Topic 3
ハレの日とG-SHOCK
ーー先ほどのDW-5600は、どういった時に愛用されているんですか?
井浦:若い頃にも持ってはいましたが、友人にあげてしまって。これは大人になってから“ある理由”で買い直したものなんです。

ーーある理由が気になります。教えてもらえますか?
井浦:息子が小学生の高学年になるタイミングで誕生日にプレゼントしたものです。ある日、「時計が欲しい」と言われて。きっと、大人たちが時計をしているのを見て欲しくなったんでしょう。なんだか自分も同じくらいの頃に似た感情を持ったことを思い出しちゃって。

ーー子供の頃って時計をつけると、大人の階段をひとつ登った気持ちになりますもんね。息子さんはどういったリアクションでした?
井浦:すごく喜んでいましたよ。まだG-SHOCKがどういったブランドかもわからない年代でしたが、単純にパッと見の印象が気に入ったそうです。小学生が見てもかっこいいと思える、やっぱりG-SHOCKには普遍性のデザインが宿っているんだなって改めて実感しましたね。
ーー井浦さんもたまに使ったりしますか?
井浦:これは完全に息子用です。僕が最近よくつけるのはこちらです。

ーーお気に入りのポイントを教えていただけますか?
井浦:まず、G-SHOCKの普遍的なデザインがベースになっていること。そしてフルメタルという仕様でブラッシュアップされているところです。僕が10代の頃にはこのモデルがなかったですが、もし仮にあったとしても、当時の格好には合わないというか、着こなしが負けて使いこなせてなかったと思うんです。
ーー確かに少し大人のG-SHOCKといったイメージはありますよね。
井浦:歳を重ねた今だからこそのギアだと思うんです。例えば、今日のようにTシャツに短パンといったアウトドアな着こなしにもハマるし、シャツやジャケットのセットアップにも違和感なく溶け込むのでとても重宝しています。
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Topic 4
時計に求める価値
ーー少し話が脱線しますが、ネットで時計のことを調べていると、俳優の〇〇〇〇氏が映画『〇〇〇〇』で使用。といった記事を目にすることがあります。井浦さんは役柄でG-SHOCKをつけることってありますか?
井浦:作品名は思い出せないですが、DW-5600をつけたことがあります。G-SHOCKではないですが、同じカシオさんのデータバンクもつけた記憶がありますね。
ーーそういった時の時計ってスタイリストさんが役柄に合わせて決めるんですか?
井浦:いえ、こういった小物類は、持ち道具屋さんという専門のスタッフさんがアイディアを出してくれるんです。例えば、「この役にはこういったイメージの時計どうですか?」といった感じで提案してくださって「いや、何か特別な物ではなく、電気屋さんの時計コーナーにある、比較的誰でも手に取りやすい値段で日本製のものがよくないですか! 」などと、議論を重ねながら決めていくんですよ。

ーーそれは私たちの知らない世界です。時計ひとつにもそんなにこだわられて制作されているんですね。
井浦:特に時計は相手に与える印象が大きい要素。ファッションに興味がある人、ギアに興味がある人など、何かの意味を持たせるという意味で非常に重要だと思います。それとは別の話ですけど、自分への投資にも使えますよね。
ーー自分への投資といいますと?
井浦:昔、高級時計を購入したことがありましたけど、その時は「この時計が似合う大人になろう」と思って背伸びをして買いました。
ーーなるほど、時計って他のファッションアイテム以上に、その人のヒトトナリが現れる気がします。面白いですね。
井浦:様々なエピソードが宿っていることが多いですよね。
ーー井浦さんのお話を聞いていると、「イギリス旅行で購入した」だとか、「息子にプレゼントした」など、何かの記念に購入したお話が多いですもんね。
井浦:確かに僕は時計をそういった理由で購入することが多いようですね。この1本もそれに当てはまります。

ーーどんなエピソードがあるんですか?
井浦:去年、家族旅行で海外に行った時、トランジットで立ち寄った空港で購入しました。その旅は息子がひとつの目標に向かって頑張ることが目的の旅でした。その気持ちを忘れないようにものとして残す意味で「記念に1本好きなものを選んで」といって息子が選んだものです。

GA-2200SL-5AJF ※生産完了モデル
ーー2回目のプレゼントですね。
井浦:小学生の頃は、僕にとって思い出深い1本をプレゼントしましたが、今度は年齢も大きくなったので自分の意思で選んでもらおうと。横で「こういったモデルを選ぶんだ」と感心深く眺めていると、とても温かい気持ちになりました。

ーー素敵なお話です。
井浦:時計をファッションやギアとして使うことはもちろん良いですが、自分で頑張って貯めたお金で購入したり、メモリアルなタイミングでプレゼントしたり、されたり、そんな選び方や楽しみ方もあるんだよってことを教えたかったんですよね。いつか息子が大きくなった時、彼が他の誰かにそういった価値観を伝えられたら良いですよね。
ーーまさか、90年代のストリートがテーマのインタビューで、スパイダーマンから始まり、こんなにハートフルなお話が聞けるとは思っていませんでした。ありがとうございました。
