KAMIが語る、アートとスケートボード、G-SHOCKの話
渋谷駅ハチ公広場前に位置する観光案内施設【SHIBU HACHI BOX】にG-SHOCK の大型クロックが出現。現在こちらにはKAMIの壁画作品が展示されている。変わりゆく渋谷、そこには積み重ねた歴史がある。アートを通じ空間と対話する彼が、過去と現在が響き合う瞬間を映し出した今作。その制作秘話をアーティストとしてのルーツやG-SHOCKとの思い出話を交えながら語ってもらった。
▼KAMI
京都生まれ、東京在住のアーティスト。十代より慣れ親しんできたスケートボードの軌跡と京都の原風景からインスピレーションを得て、滑らかな曲線と独特な間合いを活かしたアブストラクトペインティングで独自のスタイルを確立。1999年からニューヨークのアーティストコレクティブのメンバーとして活躍し、日本のストリートアートの黎明期を開拓しながら、多くの人に影響を与えてきた。
パートナーのSASUとのユニット[HITOTZUKI]としても、渋谷のJR高架下、宮下トンネルの壁画制作や、世界各地の都市から自然豊かな郊外での大規模壁画を手掛け、都市の喧騒と自然の静けさが織りなす日常の美しさや喜びを抽象的に再構築し、観る者に深い体験を提供するとともに、アートを通じて空間や時間を超えた共感と対話を生み出すことを目指す。
A Moment of Resonance
変わりゆく渋谷に響く、記憶の情緒
再開発で変貌を遂げる現代の渋谷と、90年代の上京当時、スケートボードを片手に巡り歩いた懐かしい渋谷を対比させて、記憶の中に残る渋谷の情緒を抽象的に表現しました。
色彩と間合いを活かした流動的なラインを用いて、都市の喧騒の中に潜む一瞬の静けさや調和を呼び起こし、過去と現在が響き合う瞬間を映し出しています。
Contents
Topic 1
アーティスト KAMIの誕生ストーリー!
ーーまずは、KAMIさんがどういった人物なのか、おさらいという意味でも改めてお伺いしたいです。 10代はどんな動き方をしていたんですか?
KAMI:13歳でスケートボードに出会って、そこからはスケートボードのことしか興味がなくなっちゃったんですよ。ひたすら京都でストリートスケートに没頭していましたね。
ーー90年代東京のストリートで存在感を放っていたスケート/クリエイティブ集団OWN(ORIGINAL WORLD NETWORK)にも所属されていましたよね。
KAMI:後にOWNを立ち上げるダイコンさんと仲良くなって、一緒に滑っているうちに京都から上京しました。プロスケーターではなく、スポンサードアマって感じでチームに参加させてもらっていました。
ーーそんなスケーターのKAMIさんがアートと出会ったのはいつ頃ですか?
KAMI:確か1993年ですかね。その年に一応京都の美大には入学していたのですが、最初はスケートを通じて知ったグラフィティに大きな衝撃を受けた感じですね。当時の自分は18歳、京都は国内外から多くのスケーターが遊びに来る場所だったんですよ。その時は東京からT19とか、確かサンフランシスコからTHINKチームと一緒に来ていて。
ーーT19は東京を代表するスケートボードチームですね。
KAMI:大瀧さん(T19の主宰で東京のスケートボードシーンを牽引した立役者)が、タギングしてるのを見たんです。どうやら海外のスケーターの間で流行っていて、自分のタグネームを作って描くらしいと、友達が教えてくれて、そこで自分のスタイルを出すっていう。スケートとの親和性も高いし、めちゃくちゃ興味ある! ってなったんです。
ーーもともとアートに関心があったんですか?
KAMI:絵を描いたりデザインすることは昔から好きでした。スケートボードを始めてからは、スケートボードにまつわるグラフィックや過激なイラストレーションに一気に惹かれていきましたね。
ーーなるほど。アーティスト活動のきっかけもスケートボードだったんですね。
KAMI:OWNのクルーと行動するようになって、みんなのスケートボードの上手さやスケーターとしてのライフスタイルに圧倒されちゃって。そんな中で、自分がもっと得意な部分を活かせることは何だろう、と考えるようになりました。それで、描くことでなら自分の可能性をもっと引き出せるんじゃないかと思ったんです。
ーーKAMIさんはキャリアの初期から自身のスタイルを確立していたように感じます。何が今の原点になっているのでしょう?
KAMI:当時ポストグラフィティという流れに影響を受けていたのかなと思います。従来のグラフィティよりもアブストラクトに進化させたような感じで、形だけとか、より抽象的な解釈で表現するスタイルって言うのかな。自分はそっちに興味を持つようになりました。別に文字じゃなくてもいいんだって。
ーー文字でないからこそ、言語の壁を越えて届きますよね。
KAMI:そうですね。海外に行くことも多かったので、言語の隔たりなく視覚で届けるというのは当時から意識していましたね。
ーー流れるような美しいラインは、スケートボードの軌跡がルーツにもなっていると伺いました。
KAMI:僕はトリック系よりも、気持ちよく滑りながら仲間と流している時のスケートボードの感覚が大好きなんです。もともとOWNもサーフスケートの系譜を汲んでいると思うので、やっぱりギリギリのカーブを切るようなニュアンスの影響は自分の描くラインに反映されていると思っていますね。
ーー近年はパートナーのSASUさんとのユニット、HITOTZUKIとして大きな壁画も多く手がけられていますよね。
KAMI:今回のプロジェクトもそうですが、壁画を描く時に考えているのは、アートがその環境にどんな影響を及ぼすのか。ポジティブな作用を与える物として、見た人の一瞬を豊かにするものであれば良いなと常に願っています。
ーーKAMIさんはストリート発でアートシーンでも評価を得ています。同じくストリートから挑戦する若手アーティストへ何かアドバイスはありますか?
KAMI:自分の経験から言うと、アートを意識しすぎると、むしろ本質から遠ざかってしまうようにも感じます。評価されたいという気持ちばかりが先行すると、自分の表現したいことや、本当の魅力が伝わらなくなるのかな、と思うこともあります。
ーー戦略的なアプローチや外面ではなく、自分の内面と向き合う必要がある。
KAMI:戦略や知識はあるに越したことはないと思いますけど、ストリートでもアートでも、結局は自分の表現を追求しながら経験を積んで、戦い方の精度を上げていくしかないんじゃないですかね。正解がないからこそ、自分で正解を創っていくしかないというか。夢中でやっているうちに、いつの間にか評価されていた、なんてこともあると思います(笑)。
Topic 2
初めてのG-SHOCKとブランドの印象
―G-SHOCKとのエピソードについてもお聞きしたいです。初めて着けたモデルを覚えていらっしゃいますか?
KAMI:おそらく18歳の頃だから、93年ぐらいで、僕が着けていたのは、いわゆる3つ目って言われていたこちらのモデルでした。僕にとってはG-SHOCKといえばこれってイメージがありますね。
ーーまさに、こちらは90年代にG-SHOCKブームの火付け役となったモデルのひとつだと言われています。
KAMI:当時はそもそもストリート仕様のタフな時計はG-SHOCKくらいしか選択肢がなかった気がします。タフだからって理由でスケートをする時にこればかり着けていましたからね。
ーー諸説ありますが、G-SHOCKは日本より先にアメリカで浸透したと言われていて、消防士など過酷なフィールドで活動する人々や、スケートなどのストリートカルチャーに近い人々が愛用し、その評判が日本のストリートにも広まっていったとされています。
KAMI:今となっては周りの誰が着けていたか思い出せないぐらい当時のストリートでも浸透していたと思いますよ。
ーー日本では渋谷で、一部の感度の高いセレクトショップのバイヤーさんがアメリカで仕入れたG-SHOCKを販売していたそうです。以前、このWEBマガジンにも登場してもらったDJのMUROさんもそのひとりでした。
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KAMI:逆輸入ってやつですね。確かに当時はB-BOY全盛期でしたし、渋谷のストリートにはかっこいいB-BOYが多かった記憶がありますね。みんなレコードの袋を持ってましたし。
ーーKAMIさんのようなスケーターたちが身につけたことも、ストリートの定番品となっていった一因だと思います。
KAMI:自分としてはあまり実感が湧きませんが、外側から見るとそうやって渋谷系や裏原系の当たり前のように映っていた景色がストリートから始まってカルチャーを創っていったんですね。
ーー今着けていただいているのは1992年に発売した当初のオリジンモデルですが、今は復刻したモデルが発売されているんですよ。
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KAMI:変わらない部分と時代に合わせてアップデートする部分があるからG-SHOCKは長く愛されるんでしょうね。僕も、ずっとスタイルを貫くアーティストに感銘を受けてきたし、自分自身もそうありたいと常々思っています。
ーー復刻といえば、G-SHOCKは先日初代G-SHOCK(DW-5000C)の復刻モデルや同じカラーリングを纏ったDW-5600などの定番モデルが発売されました。
KAMI:正直、当時の記憶はかなり曖昧で(笑)。ただ、このカラーリングは自分の中でとてもG-SHOCKらしいカラーリングとして頭に残っていますね。久しぶりに着けてみてなんか当時を思い出したような、不思議な気持ちになりました。
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Topic 3
ハチ公広場前アートに込めた思い
ーー今回の作品のお題は、“渋谷が育んできたストリートカルチャー”でしたが、このテーマをどう壁画へと昇華させていったのでしょうか。
KAMI:最近、あまりこのあたりを歩くことがなかったので、まず渋谷のハチ公前を下見に行ったんですが、ハチ公像の写真を撮る為の大行列に驚きました。ここは外国の方から見て、東京の特別なシンボルになっているんだと実感したんです。
ーー色々な人がパフォーマンスしていたり、待ち合わせしていたり、なんだかニューヨークのタイムズスクエアのようですよね。
KAMI:制作中、ハチ公前の広場で犬型のドローンを歩かせている人がいて、カオスを感じました(笑)。だからこそ、情報量の多いこの場所で、壁画が一瞬目に入った時、ふと日本っぽさを感じてもらって、気分を盛り上げられたら素敵だなと思いました。
ーー確かに作品から日本らしさを感じとれるのが不思議です。
KAMI:富士山がバーンと描かれているのも日本っぽいと思うんですけど、そうではない自分らしい形で表現したいと思ったんです。そのとき、なんとなく直感的に赤を取り入れたいと思いました。上京した当時の90年代の渋谷の印象を思い出して浮かんだ色なんです。それと同時に日本で過ごしていると意外と見ることが少なくなった日の丸的なニュアンスを感じさせる要素は入れたかったんですよ。
ーーそれぞれの色もラインも絶妙に調和しているように見えます。
KAMI:とても良いラインが描けたと思います。完成してみたら、他の色も、合わせたのかってぐらい、G-SHOCKのカラーリングと一致していて、自分でもビックリしましたね(笑)。
ーー狙ったわけではなかったんですね。でもそれもタイトルにあるResonance(共鳴)の一部だと感じてしまいます。
KAMI:確かにそうとも取れますね(笑)。上京当時、僕はスケートボード片手に意味もなく渋谷にいて、将来まさかこんな場所に描くことになるなんて思ってもなかったわけなんだけど。でもあの時間があったからこそ、今に繋がっていて、そんな郷愁を重ねながら描いています。
ーーステートメントにある、「変わりゆく渋谷に響く、記憶の情緒」という言葉がすごく腑に落ちますね。
KAMI:変わっていく渋谷の中で、ふと誰かがこの壁画と目が合って、一瞬の静寂が訪れて、もし何か感じるものがあったのなら、時代を越えて僕らは共鳴している。そんな想いをタイトルに込めています。
ーー説明的じゃない余白があるからこそ、鑑賞者がそれぞれの記憶を投影できるんでしょうね。
KAMI:いつも基本的には気持ち良さを優先して描いています。描く時に具体的に思い浮かべる風景はないんですけど、描いていくうちに、京都の家並みの奥に見える山の稜線であったり、過去に癒された景色に近づいていくことがあるんです。
ーー初めて見るはずなのに、なぜか懐かしくも思えるのは、そういう理由からなんですね。
KAMI:自分の作品は、これまで歩んで来た道のり、見てきた情景を反映させたいし、そうありたいなと思っています。それをシンプルなラインで表現する。その方法をずっと追求し続けていますね。
ーーそんなアートをステッカーとしてもらえるのも、ストリートらしいコミュニケーションで良いですよね。
KAMI:ふらっと立ち寄った人や、海外からのお客さんに思い出を形として持ち帰ってもらえるのが嬉しいですね。
ーーステッカーは壁画と少しデザインを変えているんですよね?
KAMI:そうなんですよ。ぜひ見比べてみてください。壁画のほうは過去の渋谷の思い出を織り交ぜて、ステッカーは現在の渋谷というテーマにしました。壁は現場で直に描いたのでその場の空気感も反映されています。ステッカーもなかなか良い出来栄えで、煌びやかな現代の渋谷を感じさせるような、ギラッとした箔を使った贅沢な仕様です(笑)。
ーー無料配布しているステッカーは数量限定。こちらは無くなり次第終了ですので早めにゲットした方が良さそうですね。
KAMI:壁画は約3ヶ月間展示される予定です。渋谷にお越しの際は、ハチ公前で、ぜひご覧いただければと思います。



