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連載Vo.4:同じ時間を歩むG-SHOCKが見たアスリートのターニングポイント!

「セルフラブが大切。私にとって一番のアイドルが私!」前田マヒナ 編

強さを求めて世界のトップレベルで活躍するアスリートには、誰かに伝えたくなるとっておきのドラマがある。
あの歴史的快挙、涙の裏に隠された真実、人生が大きく変わった瞬間 etc
この連載では、TEAM G-SHOCKのアスリートに自身のターニングポイントとなった出来事を語ってもらい、ここ一番の大舞台で襲いかかる緊張、挫折や苦難をどう“タフネスマインド”で乗り切って今に至るのかを訊ねた。
あなたの人生における分岐点を乗り越えるヒントが見つかるかもしれません。

第四回目のゲストはサーファーの前田マヒナが登場。
彼女のプロフィールは【こちら】でチェック!

インタビュアーは彼女の一番身近で最も長い時間を共有した

《商品キャプ》
耐衝撃構造や20気圧防水に加え、マリーンスポーツに最適なタイドグラフやムーンデータを搭載したスポーツラインのG-LIDE。ベゼルやバンドには 再生可能な有機資源が原料となるバイオマスプラスチックが採用される。

TURNING POINT 1 -10歳で初めて優勝したハワイのキッズコンテスト-

「まずは自信が先、結果は後からついてくる」

GLX-S5600-3JF:マヒナがTEAM G-SHOCKの仲間になったのは2022年からだよね?

前田マヒナ(以下:マヒナ):そうだね。

GLX-S5600-3JF:海に入る時も一緒だけど、マヒナにとって時計はサーフィンの時にも必要な存在?

マヒナ:そうね。ヒートで自分の制限時間があとどれくらいなのか? とか、今どれくらい海に入っているかを確認しなきゃいけないから時計は必要。それにGLX-S5600-3JFは、サーフィン向けに開発されたスポーツラインなだけあって、タイドグラフとかサーファーには嬉しい機能がついているのでとても便利なの。

GLX-S5600-3JF:なるほど。今日はそんなマヒナのこと、もっとよく知りたいから、昔話をしようよ。ハワイで育ったマヒナは、小さい頃からサーフィンをしていたんだよね?

マヒナ:4歳の時からかな。私が生まれ育った(ハワイの)ノースショアの子どもたちは、みんな学校が終わったらすぐ家に帰ってサーフィンをするの。小学校はパイプラインの目の前だし、ライフスタイルそのものって感じ。

GLX-S5600-3JF:パイプラインって世界有数のビッグウェーブで知られるサーフスポットだよね?

マヒナ:そう!

GLX-S5600-3JF:サーファーたちが憧れる聖地だよね。そんな場所が地元って羨ましいな。コンテストにもよく出ていたの?

マヒナ:毎年10月に(ノースショアの)ハレイワでキッズコンテストがあるから、子どもたちは年に一回そのコンテストに出るのが慣習になってるよ。

GLX-S5600-3JF:ハワイ出身のプロサーファーたちの多くが子供の頃に入賞している、プロへの登竜門的なコンテストだね。

マヒナ:でもノースショアで生まれ育ってもプロを目指してる子って少なくて、私も遊びの延長で出てただけだったな。いっつもボロ負けして泣いてばっかりだったし(笑)。その頃はまだ、将来は学校の先生になりたいって言ってた。

GLX-S5600-3JF:へー、じゃあマヒナは何がきっかけでプロを目指すことになったの?

マヒナ:10歳の時に優勝できたこと。初めて勝てた時の嬉しさが忘れられなくて、もっとサーフィンが上手くなりたいって思った。その時に初めて他のコンテストもあるって知って、プロになって世界を回りたいって夢ができたんだ。

GLX-S5600-3JF:なるほどね。マヒナはそこからどんどん成長して、15歳でISA(※ 1)の世界ジュニア選手権で優勝(翌年に連覇)、16歳でWSL (※ 2)のジュニア世界タイトルを獲得するわけだけど、それだけのすごい結果を出せたのって、自分では何でだと思う?

※ 1 ISA(International Surfing Association」)国際サーフィン連盟
世界のアマチュアサーフィンを統括する団体。毎年『ワールドサーフィンゲームス』を開催し、世界チャンピオンと国別のランキングを決定。

※ 2 WSL(World Surf League)世界プロサーフィン連盟
各国で大会を行い、世界ランキングが争われる。ポイントを積み重ね、上位がチャンピオンシップツアー(CT)の参加権を獲得。CTの成績で年間のワールドチャンピオンを決定。

マヒナ:それは、自信を持つことができたから。小さい頃の私は、まだまだ控えめで謙虚な部分があった。でも、周りに居たアメリカの子たちは、成績が出てるわけじゃないのに「私がナンバーワン」っていう強い気持ちを最初から持ってるの。それって本当に大切なことだと思う。私もそういうポジティブな姿に影響されて、強い自信を持てるようになれた。そしたら自然と成績もついてきて。

GLX-S5600-3JF:まずはできるって自分が信じないと始まらないってことだね。でもさ、そうは言ったって、世界一のモンスターウェーブがくる、あのポルトガル ナザレに女性では最年少の16歳で挑戦するなんて、普通の感覚じゃできなくない?

マヒナ:あれは本当のことを言うと、騙されたの(笑)。

GLX-S5600-3JF:というと?

マヒナ:父の旧友にギャレットさんって人がいるの。

GLX-S5600-3JF:ナザレで23.8mのビッグウェーブをキャッチして2011年当時の世界記録を打ち立てたレジェンドサーファーだ! その時の映像はいまだにSNSでもよく拡散されているよね。

マヒナ:ギャレットさんに会いに行った時、本当は見るだけのはずだったのにトランシーバーで、「お父さんがマヒナも乗りなさいって言ってるよ」って嘘つかれて(笑)。じゃあ、しょうがないなって。

GLX-S5600-3JF:えっ、そうだったんだ!

マヒナ:嫌だ嫌だって言ってたけど、本当は心の中で、あの波に乗ってみたい! っていう気持ちがあったんだよね。何も知らないお父さんは車で帰る準備をしてたんだけど、私がテイクオフした瞬間に、荷物全部落として走って来た(笑)。

GLX-S5600-3JF:なかなか強引だけど、マヒナならできる! って背中を押してくれたんだね(笑)。でも結果的に一歩を踏み出したのはマヒナ自身だもんね。その度胸がスゴいよ。では、ズバリ聞きます。この時期の前田マヒナの“タフネス・マインド”とは?

マヒナ:私が自分にとって一番のアイドルになること。私は今まで、他の誰かに憧れたことってなくて、自分が自分のアイドルなんだって考えてた。そう思えるように行動し続けることで、毎日レベルアップできたと思ってるから。

前田マヒナが海に入る時のパートナーは【こちら】でチェック!

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TURNING POINT 2 - 絶望的なスランプ、恩師との出会い -

「自分を認めてセルフラブを育む」

GLX-S5600-3JF:ずっと順調だったマヒナだけど、少しサーフィンから離れた時期もあったんだよね?

マヒナ:18歳は本当に厄年だったと思う。何もかも上手くいかなかった。

GLX-S5600-3JF:厄年とか気にするんだ? そこは意外と日本的なんだね。

マヒナ:実は、占いとか超大好きで、6ヶ月待ちの占いに行くぐらい(笑)。とにかく、17歳までは成績が良かった分、CT(チャンピオンシップツアー)のクオリファイを連続で逃した悔しさで、一気にメンタルが崩れたんだよね。

GLX-S5600-3JF:ジュニア世界女王としての期待を背負っていた分、スランプの反動も大きかったのか。

マヒナ:サーフィンに集中する為に、飛び級して高校を1年早く卒業したから、普通の学生生活を経験できなかったし、もっと他の人生もあったのかもって。当時は家族とも上手くいかなくて、家を出て一人暮らしをしてた。もうサーフィンはやめようとまで思ってたんだ。

GLX-S5600-3JF:そうだったんだ。いろんなことから少し距離を置くことにしたんだね。でも、どうやって気持ちを立て直したの?

マヒナ:休養期間にブラジリアン柔術に打ち込むようになって、その時に出会った師匠のキッド・ペリグロの存在が大きかった。キッドさんは、私のメンターでありお父さんのような存在。初めて会った時から一気に仲良くなって、なんだか不思議な縁を感じてる。私がいちばん落ち込んでる時に、明るい道を示してくれた。彼が居なかったらサーフィンはもうやってなかったと思う。

GLX-S5600-3JF:どんな言葉をかけてくれたの?

マヒナ:「Are you pretty? Are you beautiful? Are you smart? Are you confident ?」(あなたは可愛い? キレイ? 賢い? 自信はある?)って、毎日毎日うるさいぐらい質問された(笑)。最初は、はいはいって感じで答えてたんだけど、だんだん本気でYESって言えるようになって。気がついたら、いつの間にか「何言ってんの? 当たり前でしょ!」って心から思えてたの。

GLX-S5600-3JF:素敵な言葉。アファメーション(自己達成予言)ってやつだ。

マヒナ:ちょうどその頃にサーフィンが世界的なスポーツの祭典の正式種目に決まったんだよね。今まで考えたこともなかった新しい夢ができたの。前向きな自分を取り戻して、また挑戦したいと思えた。

GLX-S5600-3JF:上手くいかない時があっても、ずっと悪いことばかりじゃないね。

マヒナ:サーフィンはアートみたいなものだと思ってて、メンタルがすごく影響する。スランプを乗り越えたことで、より強くなれたと思う。

GLX-S5600-3JF:寄り道をしたからこそ、大切なことに気がつけたんだろうね。では、ズバリ聞きます。この時期の前田マヒナの“タフネス・マインド”とは?

マヒナ:セルフラブがいちばん大切。心からYESと言えるようになるまで、自分自身に問いかけてみて欲しい。これはスポーツだけじゃなくて、人生において重要なこと。自分を愛することができてこそ、人にも愛を与えられるんじゃないかな。

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TURNING POINT 3 - 日本代表になる為、日本国籍を選択 -

「人生のチャンスは自分で掴みに行く」

GLX-S5600-3JF:日本人の両親のもとで、ハワイで生まれ育ったマヒナとしては、2018年に日本国籍を取得した時って、やっぱり葛藤があった?

マヒナ:もちろん。ハワイを捨てるような悲しい気持ちになった。小さい頃から面倒を見てくれたローカルの人たちからも怒られるんじゃないかってすごく不安だったよ。

GLX-S5600-3JF:自分の気持ちはそのままでも、周囲の反応が変わってしまうんじゃないかっていうのは、すごく怖いことだろうね。でもマヒナが悩んでることを知ってる仲間は、みんな応援してくれたんじゃない?

マヒナ:そうだね。国籍を変える前にプロサーファーの仲間に相談したら、変えた方がいいよってサポートしてくれて安心した。アメリカとしては、やっぱりカリフォルニアの方がメディアに注目されるから、ハワイではすごく上手なプロサーファーでも普通に働いてるのが現実。特に4年に一度のあの大会に出るには、ハワイ代表ではなく、アメリカ代表になるから、チャンスは少なくなっちゃうんだよね。

GLX-S5600-3JF:これまでハワイ代表として活躍していた分、すごく複雑だよね。実際に日本国籍に変えてからは心境の変化はあった?

マヒナ:最初は日本人に認められなきゃって気持ちだった。日本に引っ越した方がいいのかな? とか。でも、自分のコアの部分を変えてまで、全く別の人間になる必要はないって気がついて。それからは、自分自身に戻ることができた感覚。日本のスポンサーがサポートしてくれたり、嬉しいこともたくさんあって、今では良かったって思えてる。

GLX-S5600-3JF:ハワイのルーツを持つマヒナが、日本代表として活躍するのは、ある意味で両方の国を象徴することにもなるんじゃないかな。勇気のいる決断だったと思うけど、二つの国の架け橋になっていると思うよ。では、ズバリ聞きます。この時期の前田マヒナの“タフネス・マインド”とは?

マヒナ:チャンスは自分で掴みに行く。人生って大きなチャンスは、なかなか来ないからね。2021年の東京の大会も、良い成績を残せなくて悔しかった。私はコンペティターだから、出れただけでは嬉しくない。もちろん次のパリもゴールドしか見てない。

GLX-S5600-3JF:やっぱりストイックだね。マヒナならきっと大丈夫だよ。じゃあ最後に今後の目標を教えて。

マヒナ:一番いい色のメダルを取ることだけを考えてる。ハワイで育ってきた私にとって大きな波は専門分野。だから予選のプエルトリコも本戦のタヒチも自信があるの。タヒチのチョープーは本当に特別な波。過去に初めて入った時は、チューブ(波が巻いている状態)が得意な私でも溺れそうになったぐらい。今ではビッグウェーブの経験を積んできて、長い呼吸法を身に付けたから、落ち着いて乗れるようになったけど、それでも甘くみない方がいいと思ってる。だから、しっかり準備して、もっともっと強い自信にして臨むつもり。

GLX-S5600-3JF:いい時も悪い時も同じ時間を共有できて嬉しいよ。これからも一緒に頑張っていこう、宜しくね!

前田マヒナが今一番気に入っている一本は【こちら】でチェック!

《撮影協力:Son of the Cheese

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