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YOSHIROTTENが語る
ARTと音楽、G-SHOCKの話!

鹿児島の自然を自らの視点で可視化し作品へと昇華させる『FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima』展を開催中のYOSHIROTTEN。彼の創作活動の根底にある音楽や、10代まで過ごした鹿児島時代のエピソードを辿りながら、本展の作品に込めた思いを探る。 最後に語った、G-SHOCKと取り組んだプロダクトへの思いには、YOSHIROTTENのひたむきでまっすぐな音楽への愛情を感じることができた。

YOSHIROTTEN(ヨシロットン)とは!?

1983年生まれ鹿児島県鹿屋市出身。グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートし、映像や空間演出、インスタレーションなど、様々な表現方法の作品で人々の視界を飾るグラフィックアーティスト / アートディレクター。TAKAKAHNとの音楽ユニット、YATTとしても活動。クリエイティブスタジオ、YAR代表。

Topic 1
アートと音楽

ーー今回の展示作品をより深く知る上で、まずは人物像についてのお話をお聞かせください! きっと、多くのファンの方が、YOSHIROTTENさんから連想するイメージは“夜の東京”といったものだと思います。普段どういったルーティーンで過ごされていますか?

YOSHIROTTEN:確かに夜の人ってイメージが強いかもしれないですね(笑)。僕は18歳で東京に出て来てから、夜は街に出て音楽のある場所で過ごすことが日課になっています。かれこれ23年くらい変わらずに続けています。

ーークリエイティブなことを職業にされている方って、夜に作業をされる印象があります。素朴な疑問ですが、創作はいつ・どういったタイミングでおこなわれているのですか?

YOSHIROTTEN:昼ごろから作業を始めて夜まで続けています。作業がひと段落した24時くらいから街へ出かけます。会食が苦手なので、2、3件目のバーから合流することが多いです。

ーーやはり作品のインスピレーションは、そういった音のある空間から得ることが多いですか?

YOSHIROTTEN:インスピレーションとかインプットはあまり意識していないです。好きだし、刺激的だし、楽しいし、心地がいいから音のある場所に行っています。仕事終わりに家でTVを見ながらビールを飲むことが落ち着くという方がいると思いますが、それと似た感覚だと思います。

ーーYOSHIROTTENさんの作品には丸や四角といった普遍的なものが頻繁に登場しますよね。一目で「これはYOSHIROTTENの作品だ」と連想できる人も多いと思います。こういった独自の視覚言語となるようなものはいつ頃、確立されたんですか?

YOSHIROTTEN:特に意識はしていなかったので、いつからだったかは記憶にないです。グラフィックって余計なものをどんどん削ぎ落としていって必要なものだけを残す作業。丸や四角はそれ以上に減らせないすごくシンプルで特別なもの。それを組み合わせていく上で、間やメリハリがあったり、それがメッセージになると思っています。そういった作品を必然的に作り続けてきた結果があるから、そう思っていただけているんでしょうね。

ーーYOSHIROTTENさんのご出身は鹿児島ですよね? せっかく地元でお会いしているので、幼少期や10代の頃のお話もお聞かせください。どういった少年時代を送られていたんですか?

YOSHIROTTEN:僕は鹿屋市の出身です。鹿屋市は僕が小学生の頃までは県で2番目くらいに栄えていた場所で、街なのに海もあって山もある、そんな街です。僕の自宅はすごい山の麓にあって、同級生の中で一番市街から距離の遠い場所にありました。街でお菓子やCDを買った後にとんでもない山に向かって帰るんです。家に近づくにつれて電灯がなくなっていって、到着するころにはあたり真っ暗で虫の声が鳴っていたりもする、そんな生活を送っていました。

ーー鹿屋市のある大隅半島は、日本初の人工衛星が打ち上げられた場所ですよね?

YOSHIROTTEN:そうです。打ち上げ場所は大隅半島の東部の方で、小さい頃は銀河マラソンという大会に出たこともあります。

ーーご実家からの風景もきっと素敵なんでしょうね!

YOSHIROTTEN:すごく長閑でいい場所ですが、それは今だから感じることです。子供の頃は夜、親の車で街へ出かけると、ネオンが神々しく見えていました。だから街への憧憬みたいなものがずっとあったんです。東京に出て毎日クラブに出かけるようになったのは、そういった理由も関係していると思います(笑)。

ーーキラキラとした都会に出て初めて、自分の生まれ育った街の魅力に気が付くことってありますもんね。そういった感受性が強い時期の原体験が今のYOSHIROTTENさんを作り上げたんですね。

YOSHIROTTEN:大人になって思うことですけど、街と家、鹿児島と東京、そういったメリハリのようなものが功を奏して今のスタイルが生まれたと思っています。

ーーYOSHIROTTENさんといえば、グラフィックに限らず、空間演出などもおこなっていますが、こういった取り組みはいつ頃から始められましたか?

YOSHIROTTEN:はっきりと“コレだ! ”といえるタイミングは2009年にキャバレーの跡地でパーティーを開催した時です。

ーーどういったパーティだったんですか?

YOSHIROTTEN:僕はDJとして、エレクトロ、ハウス、ディスコ、テクノと、箱に合わせて色々な音楽をプレイしていました。こういった音楽のジャンルはその頃、もう既にどこのクラブにも大先輩たちがいて、築かれた空間がありました。先輩方が築いた場所にお邪魔するのもいいけど、自分たちの居場所も作りたい! と思うようになったんです。

ーー理想的な場所がなぜキャバレーの跡地だったんですか?

YOSHIROTTEN:まだ駆け出しの自分たちには、貸してくれる箱がどこにもなかったんですが、そんな時に巡り会ったのが新宿の風林会館です。何もない空間だったので、友人たちにバーをやってもらったり、ステージデザインをしたり、映像を出したり、空間演出をして自分たちだけで新しい空間を作り上げました。現在の僕がやっているようなことの始まりともいえるかもしれません。

ーーYOSHIROTTENさんの創作活動の根源に少しだけ近づけた気がします。やっぱり、暗闇とネオン、そして音楽が深く関わっているんですね。

YOSHIROTTEN:他にもいくつかありますが、おそらくそれらが僕にとっての重要な原点です。

ーーこれまでにさまざまな作品を発表されていますが、それら作品がどういった瞬間に生まれているのかが気になります。今回は、G-SHOCKと関連が深いダンサーのTHE D SoraKi(以下:ソラキ)も出演した、山下達郎さんのMVについてお聞きしたいです。こんなに素敵な世界観ってどういった瞬間に思い浮かぶんですか?

YOSHIROTTEN:音楽は曲を聞くとすぐにイメージが湧いてきます。どんなものでも。

ーー“瞬時に思いつく”。よく、すごいアーティストの方はそんなことをおっしゃいますが、我々素人にはいまいちピンときません(笑)。もう少し具体的に教えていただけますか!

YOSHIROTTEN:ある日、名曲の『SPARKLE』がMVになるっていう話を聞きました。達郎さんのあの名曲が40年の時を経てMVになるって聞いたら、“何がなんでも自分が作りたい”と強く感じて。家に帰ってレコードに針を落として2回聞いた時にイメージが湧いたことをメモに残しました。

ーー作品に対して「夢のようでマジカルな一夜の世界を想像して作りました!」とコメントを残されていましたよね。まさにマジカルな一夜が体感できる世界観でした。

YOSHIROTTEN:この曲の歌詞は吉田美奈子さんが担当されています。冒頭に“七つの海”というフレーズがありますが、七つの海って“虹の海”ってこと? と解釈すると、頭の中に虹色の海が誕生して、アマテラスみたいな女神が海で奇跡を起こして、SPARKLEな夜が始まる光景が広がっていきました。そのマジカルな一夜を眺めながら感情を体で表現している人が欲しいなと。

ーー世界観を表現できるアーティストがソラキだったと?

YOSHIROTTEN:丁度その時にレッドブルの大会でダイアナ・ロスの『I’m Coming Out』に合わせて踊るソラキの姿を目にした時、直感で“彼しかいない”とインスタでDMを送りました。(当時)まだ19歳の彼と70歳の達郎さんがコラボレーションをする光景を見てみたいという願望もあったんです。

ーーあの作品のファンなので、ビハインド・ザ・シーンが聞けて光栄です。ちなみに作品制作におけるルールや大切にしていることってありますか? きっとこの記事は、未来のアーティストもチェックしていると思います。そういった人たちに向けたアドバイスをいただけますか!

YOSHIROTTEN:僕は自主的に作品を作って発表していくことと、クライアントさんがいて取り組みができること、この両軸でやってきています。まだ駆け出しの頃は好きなものだけを作っていましたが、大きな作品も作り始めるようになると、どうしても自分だけでは実現できないこともある。それらを形にするためにはクライアントワークも必要なのですが、クライアントワークが納得いかないものだと、本来の自分の作品までダメなものになってしまう。だから常にどっちもかっこいいものを作らないといけない。絶対にどちらも緩めないという緊張感とチャレンジするマインドを大切にしています。それを強く意識するようになってから、どんどんと仕事の幅が広がっていったと思っています。

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Topic 2
FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima展

ーー私たちはこの霧島アートの森に来る前、天孫降臨(てんそんこうりん)の神話に由縁のある霧島神宮に参拝してきました。

YOSHIROTTEN:南九州随一のパワースポットですね。

ーー美術館に到着して館内まで歩いていると、霧雨が降っていたこともあって、とても幻想的な雰囲気を体験することができました。霧島アートの森は本当に素敵な場所ですね。

YOSHIROTTEN:晴れていたり急に霧に包まれたりするので、見える世界が常に変化していきます。場所によっては桜島を眺めることだってできますよ。

ーーますます、気持ちが高まってきました。ネオン輝く東京でのエキシビションも最高ですが、今回は一味違ったYOSHIROTTENさんの作品の一面が発見できそうです。

YOSHIROTTEN:先ほど話した幼少期のメリハリではないですけど、そういった部分を是非とも感じ取っていただきたいです。

ーー今回の『FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima』展は、2018年の東京で開催された個展に続くもの。第二回目にこの鹿児島という土地を選ばれた理由は、やはり地元だからですか?

YOSHIROTTEN:そういう訳でもないです。初回の開催で、初めて皆さんにグラフィックがベースにありつつも、映像、立体、音楽、インスタレーションと、トータルで魅せていくことができました。

ーー2018年の『FUTURE NATURE』でYOSHIROTTENの世界観を余すことなく体感できた方が多いですよね。

YOSHIROTTEN:その後の2019年には、ビジュアルと音のインスタレーションプロジェクト『FUTURE NATURE x MELODY AS TRUTH Installation Supported by G-SHOCK』も開催できました。そこで『FUTURE NATURE』というプロジェクトは一旦ストップしたんです。でも、僕の中に核としてあるコンセプトだし、初回は初めましての自己紹介を込めた意味合いでもあって、いつか初回のアップデートをしたいとずっと考えていました。

ーーずっと構想が頭の中で広がっていたんですね。

YOSHIROTTEN:まだまだやりたいことがあって模索している中で、霧島アートの森さんとのご縁をいただきました。雄大な自然が残っていて、僕が生まれ育った場所でもある鹿児島で表現できるなら、もう『FUTURE NATURE』しかないと。将来的には、例えば真逆の北海道とか、サウジアラビアなどの海外とか、さまざまなところでの展開も視野に入れています。

ーー今回は初の試みとなる公立美術館という新天地での開催です。YOSHIROTTENさんのこれまでの活動を知らない方も数多く訪れると思います。楽しみ方や特に注目して欲しい部分を教えていただけますか?

YOSHIROTTEN:トータルで一つの作品になっている大型のインスタレーションです。それぞれ単体で鑑賞してもらいながら、独立した作品の集合体として何かを感じ取っていただきたいですね。

ーーなるほど。

YOSHIROTTEN:例えば〈宙の窓-霧島百景-〉と名付けたこちらは、鹿児島の色々な場所に行ってフィールドスキャニングしてきた素材をコンピューターでコラージュしてできた作品がベースにあります。合計100点が完成したので、その作品を約50分の映像にまとめています。その映像は入り口付近に浮遊させた〈シルバーの石〉や、巨大な〈シルバーの岩〉に反射する景色も楽しめるようになっています。

〈宙の窓-霧島百景-〉

ーー〈グリーンスキャナーとシルバーの岩〉のグリーンのライトには何か面白い仕掛けがあると聞いています。

〈グリーンスキャナーとシルバーの岩〉

YOSHIROTTEN:可視光線や赤外線、紫外線といった太陽の光を可視化できる、独自開発した分光機を搭載しています。美術館の天窓から入る自然光や作品が反射した空間をそのセンサーで採光してデータ化して、左側にある〈メンヒル〉でリアルタイムに映し出しています。

〈メンヒル〉

ーー開催期間中、〈メンヒル〉の作品は常に違った表情を浮かべるってことですか?

YOSHIROTTEN:天井からの光、天気や時間に応じて〈メンヒル〉は変化していきます。リアルタイムで太陽が作品を描いているイメージです。

ーー目には見えないけど光は存在している、そういったことを感じ取ることができるんですね。

YOSHIROTTEN:はい。その採光センサーを使って、鹿児島の様々な場所で一年間計測したデータを使ってアルミハニカムにプリントした作品がこちらの〈Tranthrow〉になります。

〈Tranthrow〉

ーーなるほど、そうやって全てが一つに繋がっているんですね。時折、この美術館に響き渡る音楽も作品をより一層、引き立たせていますよね。

YOSHIROTTEN:無音の時間と音のある時間で作品を鑑賞できるようになっています。

ーー音楽はどなたが製作されたんですか?

YOSHIROTTEN:先ほどお話しした、風林会館で初めて空間演出をしたパーティの時の相方でもある、電子音楽家のTAKAKAHNに担当してもらいました。作品と同じように霧島でフィールドレコーディングした素材で製作されています。

ーー2階に鎮座している立体オブジェの〈U.F.O(Unearthed Found Objects)〉も、とても印象深かったです。

〈U.F.O(Unearthed Found Objects)〉

YOSHIROTTEN:パラボラアンテナや太陽光パネルなど、この個展の制作過程に霧島周辺で出会った素材と、その時に撮影した写真や動画、光のデータを立体コラージュしています。この作品は、今、宇宙に向かって飛び立とうとしているところなんですよ。

ーー今回は鹿児島がテーマの一つになっていますが、前回の『FUTURE NATURE』に続き、宇宙も大きなコンセプトになっていますよね。

YOSHIROTTEN:宇宙もこのシリーズの大きなテーマです。僕はこの美術館自体を宇宙船だと感じています。美術館の大きな天窓には、人工的なオレンジの光も入る仕掛けを施しています。このオレンジは光る惑星をイメージしたものです。

ーーオレンジと採光センサーのグリーンがシルバーの石に反射する光景も美しいですよね。

YOSHIROTTEN:この空間を宇宙船だと思って展示室の中央に立ってもらい、オレンジに光る惑星とすれ違っている瞬間を過ごしていただきたいです。

ーーということは、こちらの石は流星体ですか?

〈シルバーの石〉

YOSHIROTTEN:その解釈は皆さんにお任せします! ちなみに石は未知の文明ではハードディスクみたいなものといった逸話を聞いたことがあります。僕は石を集めることが趣味で、特に気に入っているものがパイライトという石なんですけど、ご存じですか?

ーーいえ、初めて聞いた名前です。

YOSHIROTTEN:天然で立方体ができる、嘘みたいな形をした鉱石です。火山地帯で見つかることが多いそうで、昔は火打石に使われていたこともあるそうです。この作品は、そんなパイライトの世界観を僕の解釈で広げたものです。僕が持っているパイライトはものすごく小さいですけど、これくらいのサイズになったらいいなという思いも込めています。

〈パイライト〉

ーーもしかするとパイライト、桜島にもあったりして。

YOSHIROTTEN:火山地帯なので、ひょっとするとあるかもしれないですね(笑)。

ーー最初に鑑賞させていただいた時とYOSHIROTTENさんの説明を受けた後に鑑賞するのとでは、作品から得られる印象が一味違って面白いです。

YOSHIROTTEN:美術館には、僕が説明を書いたハンドアウトも用意してあります。時折、その内容をチェックしながら楽しんでいただきたいです。でも、作品をどう捉えるかはその人次第、自由に歩き回って、気になるものを見つけながら、それぞれの視点で楽しんでください。

ーーこれだけSNSが生活の一部になると、誰かがポストした作品をあたかも自分が実際に見たかのような錯覚に陥ることがあります。でも、今回のYOSHIROTTENさんの個展を見て改めて思ったことは、百聞は一見にしかずということ。実際に自分の目で見ることをおすすめしたいですね。

YOSHIROTTEN:ぜひ、そうしていただきたいです。

Topic 3
G-SHOCKとのリレーション

ーーインタビューの前半で10代の頃の話をお聞きしましたが、その続きをさせてください。YOSHIROTTENさんにとっての初めてのG-SHOCKはいつ頃ですか?

YOSHIROTTEN:色々と着けてはいましたが、最初に着けたモデルまでは覚えていないですね。一番ベーシックな、通称スピードモデルと呼ばれるDW-5600UEはかなり印象深いです。

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ーーG-SHOCKについてのイメージを教えてください。

YOSHIROTTEN:映画やファッションからの流れでG-SHOCKを知りました。時計としてのプロダクトではなく、おしゃれなファッションアイテムとして取り入れ始めたので、今でもアクセサリーとしての役割が強いです。

ーーこれまで一緒に様々な取り組みにチャレンジさせていただきました。特に思い入れの強いG-SHOCKとのプロジェクトはありますか?

YOSHIROTTEN:やはり、最初にお仕事をさせてもらった『G-SHOCK 35th Anniversary World Premier NEW YORK SHOCK THE WORLD』のキービジュアルです。

ーーそれがこちらの作品ですよね。

YOSHIROTTEN:2つの作品を作らせてもらいました。一方はすごくデジタルでメタリックなコラージュ、もう一方が荒々しいコラージュ。後者に関しては、今はこういったアナログなコラージュはしていなくて、ちょうどその狭間に差し掛かった時なのでよく覚えていますね。

ーーこちらの『CASIO G-SHOCK 35th Anniversary FAN FESTA SHIBUYA 2018』のポスターも印象的です。渋谷のスクランブル交差点をメタルとブラックのG-SHOCKで表現する作品も作っていただきました。G-SHOCKの世界観をうまく落とし込んでいただいて、YOSHIROTTENさんとG-SHOCKは、すごく親和性が高いんだと改めて感じています。

YOSHIROTTEN:プロダクトの話をすると、コラボレートさせていただいたこちらの時計も僕にとっては忘れられない作品です。

――このAW-500MNT-8AJRは、東京の夜の音楽がコンセプトで、薄暗いクラブの中で光る緑のレザーをデザインに落とし込んでいただきましたよね。

YOSHIROTTEN:このモデルが完成した時の嬉しさも記憶に残っていますが、制作の過程で色々なことが起こったので思い出が詰まりすぎています。

ーー発売は2021年ですが、制作過程はコロナ禍の真っ只中でしたからね。

YOSHIROTTEN:当時はクラブがまるで悪者のような扱いをされていたので、もうこの製品は世に出ないんじゃないか、出すべきではないんじゃないか、そんなことまで考えていました。

ーー世界中の人々が不安を抱えながら、手探りの状態で生活する日々が続きましたよね。

YOSHIROTTEN:何が正しいかわからないけど、東京の夜がなくなっていたことはだけは確かで、でもその状況が早く変わって欲しいと毎日考えていました。

ーーやり取りの中で気持ちが痛いほど伝わってきていました。

YOSHIROTTEN:元気がなくなったシーンや、そういった場所を必要とする人に、僕なりの方法でメッセージを届けたい、音楽のパワーが一番すごいと思っている僕が、そのパワーをデザインやアートを通じて感じてもらいたい、そういった願いを込めた時計です。だから思い入れもひとしおでしたね。

ーー『FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima』展の開催前日には、200人以上の関係者が集まり、東京から飛行機で駆けつけた方も大勢いらっしゃいました。その日の夜には、ホテルの宴会場を貸し切ったパーティも開催され、何もない空間が一夜だけクラブに様変わりした光景を見て、あたり前にあったあの日の夜が帰ってきたんだなと、つくづく感じました。人混みの中でAW-500MNT-8AJRを着けてくださっている方を見つけた瞬間、G-SHOCKもYOSHIROTTENさんの生み出すカルチャーに寄り添えている気がして嬉しくなりました。

YOSHIROTTEN:“寄り添う”、その感じの付き合い方、すごくいいですよね。上下とか関係なしにフラットな状態でいられるのって、感覚がいい具合にマッチしているからできることだし、そういった関係性でものづくりを進めると、とんでもなくいいものが生まれる。僕が何かにチャレンジする時、一緒に新しい夢を見たいと思ってくれる相手のひとりがG-SHOCKだと思っています。今日は鹿児島までお越しいただき、ありがとうございました。

特別企画展 ヨシロットン展
『FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima』

会場:鹿児島県霧島アートの森 アートホール
期間:2024/10/08 ~ 2024/11/24 月曜日休園(祝日の場合翌日休園)
時間:9:00~17:00(入園は閉園30分前まで)
料金:一般1,000(700)円/高大生700(500)円/小中生500(300)円
詳しくはhttps://open-air-museum.org/event/event-42630

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